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やっとで『ベスト・オブ・ザ・スタイル・カウンシル』を買ってきた。¥1,700。
- アーティスト: ザ・スタイル・カウンシル
- 出版社/メーカー: ユニバーサル インターナショナル
- 発売日: 2001/11/28
- メディア: CD
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一応後悔なし(←よくない傾向)。
まあ気に入ったグループなんだからいいんじゃない?何聞いても。
しかし、ダイアリーにもスタイル・カウンシルを語っておかねばなるまい。な〜んて言って引用。
カウンシル・エッセイ
Text by ふみ
スタイル・カウンシルという地平
「スタイル」をコンセプトに、ということは逆に中心的なスタイルをもたないという意味で究極の脱スタイルでもあったザ・スタイル・カウンシルは、メンバーも流動的で、一回ごと、一曲ごとに適材をあてるという、それこそ「グループ」というスタイルをも脱グループ化したグループでした。
さらに、シングルとアルバムは別もの、という考え方から、しっとり美しいアコースティック・ピアノのアルバム・バージョンとファンキーで南国風なシングル・バージョンをもつ"My
Ever Changing Moods"を例にとるまでもなく、曲とアレンジとを別個のものととらえ、それぞれを固定されたひとつの物語ではなく、さまざまな組み合わせを可能にする便利な素材として提示したのでした。そこでは曲とアレンジに優劣はなく、アレンジ(スタイル)どうしも対等に並置され、ひとつのスタイルの追究などということはハナから問題にもされず、必要とあらばその道の達人をフィーチャーしてくる。曲はいかようにも演じられうる、と言うかのごときさまざまなバージョンが、ときには詞までかえて提出されます。
そこには、こうでなければならない、という中心線はありません。もしあるとすれば、中心線を存在させないという中心線、とでもいうような逆説的なものがあるだけで、実際にはそこまで過激なもとはなりえなかったものの、わたしがとらえたザ・スタイル・カウンシル初期の概念とは、以上のようなものでした。
たとえば、ビバップ、ハードバップ、モード・ジャズ、フュージョンと変転をくりかえしたマイルス・デイビスも、さまざまなスタイルをわたり歩いたアーティストだと言えるでしょう。しかしマイルスとポール・ウェラーの決定的なちがい(というより、このふたりを比べることからして笑えるほど無理がありますが)は、マイルスがスタイルの革新者であり、変転しつつも大きなひとつの物語そのをつくりあげていくという必然性にこそ奉仕したのに対し、ウェラーが構想したザ・スタイル・カウンシルの実体は、さまざまな物語からの引用であり、スタイルの発明などにはトンと興味がなく、無数のスタイルを乱立させることによってひとつの必然的な物語の創造や選択を拒否することこそが彼が目指したことであったこと、そして意味を拒絶するその空虚さゆえに、スタイルを消費しつくした後は自滅していくしかなかったのだと思います。
「おしゃれでポップな」という日本で彼らを宣伝したうたい文句は、それをとてもうまく表わしたものです。人生に崇高な意味を与えてくれる物語など欲しくない。生活をいろどる、常にとりかえ可能な新しいスタイルの消費。その軽さ、明るさ。それこそおしゃれでポップで、現実の生活からちょっとの間、目をそらさせてくれるような確信犯的なそれ。中身がないことは百も承知で、いえ、ないからこそ安心して手に取ることができるそれ。ウェラーがあこがれた「パリ」そのもの。
それはだから非日常への大冒険でした。しかし非日常は常に日常へと集積し、集束していくもので、常にそこから遠ざかるためには、内容を空虚にしながら、つまりひとつの意味を担うことなく、それらを消費していかねばならないわけで、『コンフェッション・オブ・ア・ポップ・グループ』までの4枚のアルバムでクラシックまでのジャンルのほぼすべてを引用しつくしてしまったウェラーに残されていたのは、ハウス・ミュージックのような、同時代的でまだ未消化なスタイルのみしかなく、それすら消費してレコーディングしたアルバム『モダニズム ア・ニュー・ディケイド』(だからこのアルバムは全曲ハウスのみ)をレコード会社が発を売拒否したのは――これがザ・スタイル・カウンシル解散の直接の契機になるわけですが――、ザ・スタイル・カウンシルというコンセプトから言えば、正しい判断だったと言えるでしょう(ファンとしての言い分を別にして)。
スタイルの放浪者として、地の果て(カントリーやらポルカやらワルツは残ってはいるわけですが)まできてしまったウェラーが、失意の中で求めたものは、故郷、家族、仲間といった自分を支える固定した場所であり、荒々しいギターとソウルフルなボーカルという自身のルーツでした。
そうしたことをもって、ザ・スタイル・カウンシルの歩みを否定することはたやすいことでしょう。「やっぱハートだよね」とか、スタイルを地域性や歴史といった文脈から切り離してとらえることはナンセンスだ、とか。しかしわたしたちは、それがどんな結果となったにせよ、ウェラーがそれを目指し、実際にそれを世界を相手にやってみせたということに大きな敬意を表さないわけにはいきません。それはジャムという巨大な意味を担わされた彼が訪れた場所であり、イギリスの国民的なヒーローとしての今にいたる、どうしても避けては通れない場所でした。そしてそのザ・スタイル・カウンシルという名の地平は、わたしたちひとりひとりが彼にならい、訪れてみるべき場所なのではないでしょうか。
2003.2.9
――http://council.kt.fc2.com/essay01.htmlより
そうだ、しっかり勉強しよう。